秋になると、落ち込む

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秋になると、落ち込む。

それは、毎年なので、バイオリズムなのか、秋が切なく、むなしくさせるのか、一ヶ月ほど、調子が悪い。

ここ数日は、少し持ち直して、気分が快復しつつあり、むしろ、気分が上がらないことに自分が慣れてきた感がある。

 

まぁ、ぼちぼち、無理はせずに、やっていこう。

 

ここ数年は、自分を勘定に入れずに、ウケがいいことを目指して、作品を作ってきた。

僕は、写真を撮って、音楽を作って、ブログをやって、noteというSNSも始めて、ツイッター、FBなどもやっている。

ブログでは、アフィリエイトを導入しているし、noteでは有料コンテンツも販売している。

これは、儲けたいというより(一年ほどアフィリエイトをやってみて、儲けるのが難しい、僕には才能がないことがよく分かった)、受け手のことを考えてのことだった。

 

ブログは、一日200アクセスの壁が乗り越えられず、サウンドクラウドでの反応もイマイチ、noteは最初こそそれなりに反応がよかったのだけど、三ヶ月ほど経過して、コンテンツへのスキの数が半減した。

やっていることはあまり変わらないので、単純に、僕をフォローしてくれている人たち(noteのユーザーはnoterと呼ばれている)の内、けっこうな割合で、頻繁にnoteをチェックしなくなったり、飽きたりして幽霊ユーザーになっているのだと思う。

ここで、新たに活動的なnoterを探して、相互フォローしてもらえるように努力すればいいのだけど、どうも、そういう気分にはなれずに、noteでの反応は日に日に薄くなっている。

 

いわゆるテコ入れというやつをやらないと、状況は改善されていかない。

ただ、ウケを狙っていくことに、僕自身の限界を感じてもいる。

どうも、やっぱり、僕には、作家としての才能がない。

才能があれば、ウケるはずだ。

幅広くか、ディープか、何らかの反応があってしかるべきところに、反応が希薄ならば、それは、受け手が悪いのではなく、僕に原因がある。

そういうことを考えて、テンションが上がらないのか、今、受け手に喜んでもらいたい、という気分も希薄になっている。

 


ACARL|tominagayuki|note

 

今取り組んでいる電子音楽は(上にリンクを埋め込んだので、興味があればそちらからどうぞ)、受け手のことをあまり考えずに、自分の頭の中にある近未来のイメージを音で表現する、ということをしている。

で、やっぱり、反応は薄い。いつもより、薄くなっている気がしている。

当然、受け手よりも、表現をする自分を優先させているのだから、反応が希薄になるのは、おかしなことではない。

ただ、何が面白いのか、何がいいのか、分からない。

今取り組んでいるアンビエントシリーズはもうじきに終わって、次は、ダンスミュージック寄りの音楽を作りたい、と漠然ながら、思っている。

ダンスミュージックは、エンターテインメントなので、時間をかけて、気分が変わって、ウケを少しでもよくしていく努力をしようと考えてはいる。

 

ウケなんか気にせず、自分がやりたいことを、やりたいように、なっていってもいいだろう。

どちらにしても、趣味なのだから。

でも、何だか、それは、ただの自己満足じゃないか、という内なる声があって、自己満足で満足出来る年齢ではなくなってきたのか、疑問が生じる。

しかし、ウケを狙っていくのにも、今は疲れてしまっている。

肝心なのは、作品の質、内容だとは思うのだけど、そのことを言及してくれる受け手は皆無に等しい。

だから、それは、僕の才能のなさなのだろう、とも思っている。

 

自分とは無関係に、作品が存在していて、たまたま、それを受ける時、簡単な感想は浮かぶかも知れないし、ちょっとした感想をコメントに書き込むかも知れない。

そもそも、人様の作品をネットで見かけて、コメントを書き込むことが、僕からしたら、なかなかに、敷居が高い。

だって、はなから無関係なのだから。

誰かも分からない赤の他人、その人の作品をたまたま受けて、ふーん、とか、その程度のことだから。

 

コメントを書き込むことは、受け手の中に、これは自分とは無関係ではない、と思わせる、感じさせる何かがあるのではないだろうか?

受け取った作品の内容を、コメントなどでわざわざ書き込むのならば、それは、多分、受け手である自分にとって、切実な何か、無関係ではいられない共感や普遍性があってのことだろう、と思う。

広く浅く共感を抱くような(あるあるネタのように)作品があれば、誰かに囁くような密接な距離感の作品もある。

それが、作品の質であり、内容であり、声なのだろう。