Drukqsについて
最近、Aphex TwinのDrukqsというアルバムの評価について、納得がいかなくて、noteでエッセイを書いてアップしようかな、と思っていたんだけど、アマゾンのDrukqsのレビューを改めてチェックしたら、このアルバムをAphex Twinの最高傑作だと書いている人が何人もいて、ほとんどのレビューが絶賛していたので、分かっている人は分かっているんだな、と思ったから、エッセイは書かず、こっそり、こちらで書くことにした。
- アーティスト: Aphex Twin
- 出版社/メーカー: Rhino / Wea
- 発売日: 2001/10/30
- メディア: CD
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きっかけは、noteのとあるノートで、Aphex Twinの最新アルバム、Syroについて、絶賛しているエッセイを見かけて、Drukqsについて、印象に残らない、訳の分からないアルバム、みたいに書かれていて、その書き手、どうやら、音楽ライターなんじゃないかな、と思うのだけど、Drukqsは印象に残らないわけではないし、じゃあ、訳の分かりやすいアルバムだったらいいのか、と。
自分の理解力以上の作品に対して、訳が分からない、と否定的に言えてしまえる性根がまず気に入らないし、もし、自分が馬鹿だとして、その馬鹿さに目を向けずに、批判してしまえる鈍感さがイヤだったのだけど、Drukqsは、確かに、音楽業界、音楽批評家、音楽ライターの評判はよくなくて、概ね、印象に残らない、訳の分からないアルバム、斬新さはなく懐古的な音色ばかり、みたいな、評判のよくないアルバムなのであった。
まぁ、それはそれとしておこう。評価は人それぞれなのだから。僕は音楽の専門家ではないし。
友人も、Drukqsは聴いていて混乱するから、売ってしまって手元にない、と言っていたし。
Syro [帯解説・ボーナストラック1曲収録 / 国内盤] (BRC444)
- アーティスト: APHEX TWIN,エイフェックス・ツイン
- 出版社/メーカー: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
- 発売日: 2014/09/24
- メディア: CD
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Drukqsは、僕からすると、前衛音楽で、すごくいいアルバム。
聴いていて飽きないし、いつでも、発見がある。
訳が分からない、だから、飽きない、発見がある。
Drukqsは大いなる謎そのものなんじゃないか?
自分の耳で音を聴いてみれば、よく言われるように、聞き手に対しての悪意なんてないってことが分かるだろう。
そんなことは問題にしていないんだ、Drukqsは。
音が、奇跡的にいい。
まず、そのことに驚くべきなんじゃないのか、専門家ならば特に。
Drukqsは、シンプルじゃない。
とっても複雑、とっても作り込んでいる。
だから、扱っているテーマも、複雑でシンプルじゃないって捉えるべきだと、僕は思う。
音楽って、シンプルなのもあるけど、複雑なのもある。
当然のことで、Drukqsは、とっても複雑なことを、音楽でやっているんじゃないのかな?
複雑だからよくないっていうのは、自分は馬鹿だし、リスナーも馬鹿でいいって言っているようなもので、素人が好き嫌いで感想を述べるんだったら、それでもいいんだ、むしろ、そっちの方がいいかも知れない、無理に批評家ぶるよりも。
素人なんだから、ファンなのだから、気侭に音楽を楽しめばいいわけで。
音楽ライターとかが、そんな馬鹿な評価を世に出してしまえる、その愚劣さに、僕は嫌気がさす。
確かに、海外でのDrukqsの評価は、あまりよくないだろう、多分。
それを踏まえて、Drukqsについて意見を言うことも、大事だろう、きっと。
でも、自分の耳で聴いて、自分の感覚で、Drukqsについて、言っていないこと、それは欺瞞なんじゃないのか?
嘘なんじゃないのか?
もしそうならば、印象に残らない、訳の分からないアルバム、などと言える筈がないのだ。
それはつまり、私はDrukqsを自分なりに理解できるまで聞き込んでいません、ということに他ならないのだから。
そして、海外では概ね、不評だから、よくないアルバムなんだろう、Drukqsは。と平気で思って、それに準ずることを言っておけばいいだろう、つまり、世間の空気に準ずることを言っておけばいいだろう、という精神が見え隠れしているんじゃないのか?
例えば、Drukqsは名盤である、とか、DrukqsはAphex Twinの最高傑作である、とプロの音楽ライターが公の場所で文章を載せることは、そこそこ以上の勇気と確信がないと出来ないだろうことは、僕にも分かる。
逆に、Drukqsは失敗作だと発言する方が、無難だし、気楽なことだろう。
僕は、Drukqsを失敗作だと、つまらない退屈なアルバムだと言う人がいても、いいと思うし、むしろ、そちらの方が多いかも知れない、とも思っている。
それを、自分の耳で、自分の感覚でそう思うのならば、それはそれでいいんだけど、自分に対して無批判に、世間がそうだから、みたいな、そういう感じで、発言する音楽ライターは嫌なものだね。
僕は、坂本龍一さんのLIFE IN PROGRESSというアルバムと、RAW LIFE-TOKYOというアルバムを以前から持っていて、最近、たまに聴いているんだけど、よく分からんですよ。
何なんだこれは? という感じで、坂本流オペラらしいけど、ぜんぜんオペラっぽくないし、そもそもオペラって何? みたいな感じになっちゃって。
でも、嫌いじゃない、僕は。
確かに、映像で見たほうが、伝わるとは思う、このアルバムたちは。何故なら、科学者とか思想家などの言葉が、映像の引用として、曲に使われていて、それは、ライブでモニターに映像を流す、というのを想定しているだろうから。
字幕も出ているんじゃないのかな、と思うし。
それでも、CDで聴いていて、いいっていうか、よく分からないっていうか、眠くなるっていうか、謎って感じで、そういうの、アリだなぁ、と僕は思っている。
Drukqsも坂本さんのこれらのアルバムに近い印象があって、Drukqsは個人的なことを扱っていて、坂本さんのこれらのアルバムは人類レベルのことを扱っているのだろう、というスケールの違いは感じるけど、印象としては、近いなぁ、と感じている。
もちろん、坂本龍一のこれらのアルバム=音楽作品も、賛否両論、むしろ、ファンから黙殺されていたり、反応があまりないんじゃないのか、とアマゾンのレビューなどを見ていて思うのだけど、僕は好きだし、最終的には、こういうものを自分で作ってみたい、と考えている。
そこにあるのは、もしかしたら、無なんじゃないか、と思うので。
無というものを、人が理解出来るわけない。それは、頭で理解するようなものではなく、過ぎ去っていく流れ、状況の中に起こるものなのだから。
無とは、過ぎ去っていく、そして、新たに向かっていく奔流の一つの一瞬の形態、状態なのではないだろうか?