これはどうなのかな?
当直医から一般のみなさまへのお願い again|女医Pinky
今朝、フェイスブックのタイムラインで、上の記事のリンクがあった。
読んでみた。
朝から、イヤな気持ちになった。
この記事と、選挙活動のことを合わせて、noteのエッセイで書こうと思うのだが、まずはこちらで、少し触れておく。
上の記事については、コメント欄に直接、書き込んでもよかったのだけど、アメーバの会員にならないと書き込めない仕様なので、自分のブログなどで書くしか手段がなさそうなので、書いているだけのことだけど、上の記事のコメントに、いろいろな反論や書き手への批判も書き込まれているので、まぁ、いいかなぁ、という気持ちにもなっている。
どちらにしても、書き手は一向に反省することなく、これからの人生を歩まれていくことは目に見えているので、無駄なことはしない。ただ、患者のことを書くのに、ドクロマークを用いるのは、医者としていかがなものか、と思う。とどのつまり、それだけのことであった(いろいろと突っ込みどころ満載なのだけど、ここでは突っ込まない)。
僕は、コンビニでパンを買う。
コンビニの店員から、つり銭をもらう。
その仕方で、その人のことが分かることがあって、たまに感動する。
他にも、ちょっとした対応で、相手の気持ちなどが分かることがある。
それは、本当に些細なことだったりするのだけど、この些細なこと、ちょっとした言葉や仕草などで、伝わることがある。
だから、僕も、常日頃から、ちょっとした言葉、仕草などを気をつけたい気持ちでいる。
愚痴と啓蒙は違う。
仕事でストレスが溜まることはあって、愚痴りたい時はあるだろう。
それを批判しているのではない。
それらを混同してしまっていることが、読んでいるとイヤな気持ちにさせられてしまう。
まず問うべきは、現在の医療現場の現状だろうに、とも思う。
当たり前のことを当たり前にする、というのは、言うよりもよほど難しいことだと思う。
実際には、その人の人柄のようなものは、ちょっとしたところで現れている。
それが分かる人もいる、分からない人でも分からないなりに感じている。
声だけでも分かることはあるし、目が言葉以上にものを言うこともある。
そういうのを、少しづつ、修正していくのは、大変なことであろう。
ただ、自分をよりよく変えていきたいのならば、そういうところから、コツコツと地道に変えていくのが、近道のように感じている。
そうやって、誰かから、いい意味で、変わったね、などと言われる日も来るだろう。
自分が気付かないところで、評価されることもあるだろう。
そうなって、ようやく、ちょっとはマシになったのだと思う。
頑張っています、とか、そういう意識ではなく、少しずつ修正していく、相手にとって不快だと感じさせるものを出さないようにしていく。
そうやって、周りの反応が変わってきたら、自分がマシになってきたのだと分かる。
だから、出来るだけ愚痴は言わない。
愚痴を言う時は、明白に、愚痴だと分かるように話す。
自己正当化ではなく、愚痴は愚痴として、ストレス解消の方法として用いる。
ただ、言うは行うよりも易し。
実際っていうのが、難しい。